1回目の結婚の披露宴のときに
父に挨拶を頼んだことがある
そのとき、父は
「なんで弁護士なんて仕事についてしまったものかと思い悩んだ」
と言ったようなことを言っていた
そのときの私は
まだ弁護士になりたて
父のその言葉を
奢りのようなものから言っているのだろう
と見ていた
しかし
私も弁護士になって18年
当時の父は30年以上
私はようやく18年、だ
だけど
18年でも
当時の父の言ったことが
最近、本当に、よく、わかる
先輩弁護士とも愚痴ったものだが
弁護士なんて商売は(あえて商売、と言う)
人が羨むような商売では、ない
人から恨まれることもあるし
それゆえに陰口を叩かれたり
攻撃されたりすることもあり
理解されないことや
誤解を受けることも
また、精神的に
かなり参っているときに関わるので
それゆえに、のことも
かなり多い
その割に
人々が羨むような稼ぎは、正直言って、ない
お金だけ稼ぎたいのなら
正直、ほんと、起業することを勧める 笑
お金儲け、では
弁護士は残念ながらできない
効率は悪いし
人間国宝が壺を一つ一つ作っているような
そんな仕事だ
重積に押しつぶされて
自ら命を絶ったり、突然死をしたり、うつを患って休職したり、辞めてしまったり
という人たちも何人も見てきた
それでも
みんな
弁護士をしている人たちが
この仕事をするのは
その
仕事の性質ゆえに
その
仕事にしかできない
達成できない
実現できない
ことが
あるからだと
私は思う
事実、私は、そうだ
なんの因果か
私も父と同じように
いつの間にか
弁護士になっていた
「なんで弁護士になったの?」
と良く聞かれるが
就職活動が面倒で
定時出社が嫌で
人に使われるのが性分として向いていない、無理だ
と悟ったから
人に使われない仕事
フレックスで働ける仕事
を選んだら
弁護士だっただけだ
だけど
弁護士になって
「弁護士」であるがゆえに
辛いこと、苦しいこと、悔しいこと、怖いこと
本当に
18年もやっていると
いろいろあったし
その度に
涙もしたし
言い表せないほどの苦悩も味わった
だけど
それでも
弁護士をやめられないのは
続けているのは
たぶん
この仕事にしかできないこと
味わえないこと
があるのだと思う
事実
人から罵られたり
攻撃されたり
評価を貶められたりするときほど
どうしてこの仕事をしているのか
どのようなポリシーをもってやっているのか
というのを
嫌と言うほど突きつけられる
そして
再度、私はこういう思いで、こういう弁護士でありたい
ということを
突きつけられるのだ
そう
私は
元々は弁護士になりたかったわけではなく
裁判官になり損ねたので
弁護士になっただけである
今にして思えば、私が裁判官なんて
本当に、全く向いていなかったが 笑
だから
弁護士になった(というより、当時は、ならせられた)ばかりの頃は
どういう弁護士になりたいか
どんな仕事がしたいか
ということが
本当に、全く、なかった
だからこそ、の
私はどうして弁護士をしているのか
何を大切にしているのか
どういう弁護士でありたいのか
ということを
再認識させられるような出来事が起きてきているのかも知れな
出来事が起きたその時は
私に悪いことが起こった、と思って
厄介払いをするような気持ちだった
(実際、厄払いをしたり、厄除けのお守りはたくさん持っていて、厄介払いをしていた 笑)
だけど
こうして
昨日、また
とっっっっても
嫌なことを言う
依頼者の相手方さんからの
まあ、なんとも
気持ちを害される(いや、この方は害するのがお得意なのかも知れない、むしろ)
発言を受けて
気持ちを癒すために
依頼者さんに愚痴を吐かせてもらって
反論しているうちに(弁護士なんで、どうしても、論理矛盾しているところとか、おかしいところを指摘して、反論したくなるんです 笑)
「ああ、私って、こういう弁護士だったよな」
って
いわば
客観視をさせられるような気持ちになった
・・・と
こうして
ここに書かせてもらっていることも
自分のための吐き出し
癒しの作業
お付き合いいただき
ありがとうございました 笑