私は
ずっと
「聴くだけ」
って
意味ない、って
思ってきた
だから
弁護士になったのだろうし
だから
弁護士で限界を感じたら
その他の手段(アカシックリーディングとか、カウンセリングとか)
を学んだのかもしれない
けれど
今日のご相談者さんのお話を聴いていて
ふと
表題のように思った
私は
後半は
ほぼ
温かく
見守り
応援し
ただ、ただ
話を聴くしかなかった
その人の
思いを
悔しさを
気持ちを
ただ、ただ
受け止めてあげることしかできなかった
でも
彼女にとっては
それが
何より
どうやら
必要だったらしい
「他人の私が
そんなことして良いのだろうか」
とも
思うけれど
身内だからこそ
話せなかったり
友達だからこそ
話せなかったり
することもあるのだろう
それが
専門職のカウンセラー
というものなのかもしれない
結局
私が14歳から母にやってきたことは
私としては
意味のないことだったのだと
ずっと思ってきた
それは
母がそう思っていた、言っていた、ということに起因している
しかし
私が以前にカウンセラーさんから言ってもらった一言
「お母さんは不幸なの???」
?????
と考えてみた
たしかに
離婚したことによって
一軒家を父からもらって
その家に一人で犬と一緒に住んで
好きなときに好きなことして
夫の食事つくったり世話する必要もなくて
なんて
優雅な毎日
生活
なんだろう
と
思った
母はずっと
離婚をしたこと
今、独り身でいること
を
「私は不幸だ」
と
ずっと言っていた
でも、でも、よ
母くらいの年齢なら
もう夫に先立たれた人もいるから
独り身でいることがそんなに恥ずかしいことでもないようにも思うのだけど
その歳になるまでには
大変だったのかもしれないな
戦後ベビーブーマー生まれの母
横並びの一億総中流時代の戦後高度経済成長の時代に育った人
学歴だけが
価値観のような時代に育った人
そういう時代背景の母からしたら
「いい大学入って、いい会社入って(女性の場合は、いい会社の人と結婚して)、子供がいい学校入って、いい会社入って、老後は夫と旅行とか行って、死ぬ」
という
典型パターンが
もしかしたら
あったのかもしれない(推測や憶測でしかないけれど)
そんな
いわゆる「レールの上」を進んでいくのが最善とされた時代の母からしたら
みんなが歩かないレールの外の「離婚後」という道を歩いていくためには
もしかしたら
ものすごく多くの言い訳を必要としたのかもしれない
もしかしたら
人と違う、ということが
ものすごく悪の時代だったのかもしれない