私が離婚に関わるようになったのは
中学2年のとき
夜、弟と一緒の子供部屋で寝ていたら
突然、弟とともに父に起こされて
私たちに妹が生まれる
ということを告げられたときからが始まりです
あのとき、
なんで父は
わざわざ私たちに
それを伝えたのか
ずっと
ずっと
わからずに
39歳のとき
岡部明美さんのLPL養成講座で
セラピーを受けたり、習い始めたときに
思い切って聞いてみることにしました
「そうだ
私の苦しみは
あのときからだった
よく考えれば
わざわざ子供に言う必要もないはずのことを。。。
なんで父はわざわざ言ったのだろう?」
そんな素朴な疑問を
ようやく
そう気づけて
聞いてみることにしました
思い切って聞いてみた結果
父は覚えていませんでした(笑)
だいたい、こういうもんなんですよね(笑)
ずっと、ずっと
抱えてきて
それが大きな引き金となった
一言を
言った当人は
言ったことすら
覚えていない
よくアルアルです
そのときの父の言葉
「そんなこと
言ったかなぁ・・
あのときは
自分のことで
いっぱい、いっぱいで」
そんな一言で
私の
父に対する
そして
当時の夫婦のことに関する
見方が変わっていきました
「そうか
父は、自分のことだけで
精一杯、、、」
当然
そのころの私は
中学2年
一番
むしろこっちが
ケアしてもらいたい子供です
だけど
たしかに、当時
父も母も
自分のことでいっぱい、いっぱいで
私たち子供のことなんて
全く考えてくれませんでした
余裕、なかったんですね
だから
当時の私は
「父も母も
ただの男と女なんだ
私たちと同じ人間なんだ」
と
これまでの
「父と母」
という
いわば上に見ていた存在が
急に
横並びの
「同じ一人の人間」
と
見ざるを得ない状況や心境になりました
そこから
ですね
離婚で
悩み苦しみ
まさに
泥沼となった
夫婦の観察、分析、研究
をするようになったのは