今日は
自分では
なかなか
いつも
辛い
しんどい
思い出を
書き出そうと思います
表参道は
2016年6月〜2019年7月まで
住んでいた場所です
2016年8月
私は第一子を出産しました
その前の6月に
出産を控えて
南青山6丁目の
骨董通り沿いのマンションに
自宅兼事務所として
借りて住むことになりました
それまでは
元夫さんの
世田谷でのワンKに転がり込み
その頃の私は
一人暮らしをする余裕がなく
(東京に戻ってきてから
まだ2年目だったので
それほど仕事がなかったのです)
実家暮らしだったのです
妊娠が発覚し
元夫さんは
彼女でさえも
自宅へ入れるのは嫌だという人
なんとなく
実家で育てることになるのかな
と漠然と思っていた頃
都内から遠い実家からの通勤は大変だろうから、と
平日は自分の家に来てはどうか、と
元夫さんが言ってくれました
(しかし、このことを
元夫さんは自分から言っておきながら
後日、すっかり忘れてしまっており
ことあるごとに
「お前が転がり込んできた」
と私のせいにされました笑)
そこから
ありがたく
世田谷に住まわせてもらい
初めての
三軒茶屋
東急線
東京の多摩地区出身の私にとっては
接したことのない地域でした
「三軒茶屋って芸能人がたくさんいるところでしょ?!」
そんな勘違いを普通にしていました笑
「平日のみ」という
ありがたいお申し出でしたが
私はそのまま週末も居着いてしまいました
(これをもって元夫さんは「転がり込んだ」と言っているのかもしれない笑)
お腹が大きくなってきて
引っ越さなければ
保育園を考えなければ
となってきた
世田谷区は
0歳児の保育園入園は壊滅状態だという
近隣の
川崎市や杉並区や、と見てみても
やはり難しそう
都内までの便を考えて
駅近にすると
家賃もそれなりにする
当時、私も元夫さんも
南青山に小さなオフィスをそれぞれ借りていたことから
私のオフィスをたたんで
自宅と一緒にすれば
借りれるのではないか
港区なら
保育園は入れるのではないか
という元夫さんの
発想から
なんと
元夫さんのオフィスがあった骨董通り沿いに住むことになった
表参道に住むなんて
自分では
おそらく発想できなかったであろう
今でも
表参道に行くたびに
そのことを
思い出す
この街に住んでいた
毎日のように
骨董通りを歩いていた
ミルクやオムツを買いに
骨董通りを歩いていた
そんな生活をしていた日々のことを
今となっては
とても貴重である
また
そんな大都会に住むことは
やはり
今となっては
もう自分の選択ではしないだろう
その後、郊外や都内に住んだけれども
結局
都内であっても
静かな住宅街を私は好む
郊外で生まれ育った
環境があるからだろう
そういえば
元夫さんは
県で一番賑わっていたという
商店街のお子様だった
街の賑やかなところで
生活をすることが
もしかしたら
やはり
彼の生まれ育った環境なのかもしれない
表参道で
仕事をしながら
出産・育児をすることができたのは
今にして思えば
このときの元夫さんの選択が
よかったのであろうし
保育園入園前までは
元夫さんが
育児を分担してくれたことにもある
乳児を連れて
裁判所や弁護士会館に行ったり
抱っこ紐で抱っこしながら
相談を受けたりしたこともあったっけ
今では
とてもいい思い出
表参道から引っ越したばかりの頃は
表参道に行くことが辛かった
まだ
思い出が生々しかったからだろう
そうして
表参道を避けていると
次は
だんだん、そもそも
行きたくなくなる
そうして
しばらく足が遠のいていたこともあったけれど
最近
髪を切ってもらう友人や
マッサージをしてもらう友人が
表参道でやっていて
しかも
なぜか
前に住んでいた場所のすぐ近くのサロンで
行かざるを得なくなった
久しぶりに
昔
よく通った場所を
また
歩いてみた
あの頃
この道を
こんな思いで
通ったな
あの頃
まだ子育てが
とても大変な頃で
そんなしんどい気持ちで
この道を子供と一緒に何度も歩いたな
とか
表参道駅から根津美術館までのあたりは
そんな
当時の思い出がたくさん、たくさん詰まっている
ふと
そんな
辛い思い
大変だった思い
思い出したくもない
なかったことにしたい
失敗だったことにしたい
って
ことを
なんでしていたのだろう
と
ふと
思った
これまでは
ただ
「〇〇が失敗だった」
「失敗だったにすぎない」
「だから忘れよう」
「なかったことにしよう」
そんな感じだった
でも
その時を生きていたのも
紛れもない自分だったのだし
いつもその時は
最大限の全速力の
選択をしていたのだし
それを
ただの失敗だった
で
なかったことにするのは
なんか違うような気がした
あ、
これまでは
散々
これ、
やってきたんですけどね^^;
なかったこと
「失敗しちゃった。なかったことにしよう。
〇〇がダメだっただけだよ。次は大丈夫。もうしない。」
みたいな 笑
私、表面がエニアグラム タイプ7で
本質がタイプ2みたいなので
どちらも楽観的なのですよね^^;
だから
「いいや、なかったことにしよう」
でも
ちゃんと
その場に行けば
当時の思い出、感覚、気持ち、思い、が
蘇ってくる
それをなかったことにしても
また同じようなことを
繰り広げるだけ
私は
こう
何度も
自分の中で
「失敗だ」
ということを続けて
何度も
辛い思いをして
一体、何を
見出したいのだろう、、、
何を
求めていたのだろう、、
求めていたことは、わかる
「幸せな家族のかたち」
もしかしたら
ハリボテに過ぎなかったのかもしれないけれど
(3年も持たなかったから)
私は
一時でも、自分がこれまで憧れてきた
そして
今も憧れている
「家族のふり」
をすることができたのかもしれない
でも
本当にそれを望んでいたのか
それをまた
これからも続けたいと思うのか
今となっては
もう、よく、わからない 笑
家族は
楽しい
協力しあって
色々なものを紡ぎあって
でも
それが崩壊していく様も
散々みているし
でも
新しい家族の形を
紡ぎ出している人たちも
たくさん見ている
どれも正解であり
どれも間違いであったり
間違いでなかったり
なんだか
いろんなものを見すぎて
いろんなものを体験しすぎて
もう
なんだか
もう
わからなくなっているのが
正直なところである
もしかして
こうやって
掻き乱されて
最後は
なんかよく
わかんないけど
みんなあって
それでいい
みたいな
今の感覚になるための
あの
辛く厳しい日々の
プロセスだったのかな〜〜〜
あ、プロセスワークの本読もう! 笑