ブログチャレンジ8日目!
1週間も開いてしまいました〜〜〜〜(涙;;
昨日は久しぶりの
本人尋問
でした
尋問、とは
よく法廷ドラマなどで見る、あれ、です
証言台の前に人が立って
両脇にいる弁護士と
正面にいる裁判官から質問をされて答える
テレビでよく見るのは
刑事裁判が多いと思いますので
両脇にいるのは
弁護人と検察官になりますけどね
離婚の訴訟の場合には
両脇は
妻の代理人弁護士と
夫の代理人弁護士になります
以前に聞いたことのある統計だと
全離婚件数のうち
訴訟になるのは
約1%だとのことだそうです
そのうち
尋問まで行うのは
これまた1割行くか行かないか
くらいの感覚です
なぜなら
訴訟になっても
ほとんどの案件は和解で終わるからなのです
和解とは
お互い合意した内容で
終わらせること
和解の場合には
それで全てが終わる(控訴や上告がない)
というメリットや
お互い、条件面でも
判決よりもメリットがあるため
和解で終わることが大半です
しかし
「どーーーーしても
何がなんでも
どんな条件であっても
離婚しない!!!」
という
場合には(離婚訴訟をされた方の側の配偶者が、ですね)
合意はできないので
和解はできません
その場合には
最終的には
裁判官に判断をしてもらう
すなわち
判決を書いてもらう
ということになります
裁判官は、
その判決の中で
離婚を認めることのできる理由、事実があるかどうか
判断をします
最終的には
裁判官の判断なので
離婚が認められるときもあれば
認められないときもある
こればっかりは
判決を聞くまでわかりません
ということで
この判決をする前提として
尋問をします
なので
和解の場合には
この尋問をしないので
尋問をやることは
滅多にない
ということになります
以前に、1度だけ
尋問せずに判決を出してくれたこともありましたね
そのときは
どうやら
尋問(本人から直接話を聞くまでもなく)
離婚が認められないことが明らかだったからのようです(^^;;;
そんなこんなで
年に1回あるかないかの
貴重な尋問
今回は時間は短かったとはいえ
やっぱり
疲れました
なんなんでしょうね
私はスピリチュアルとかの勉強をするようになって分かったのですが
どうやら
人のエネルギーとかに
敏感なほうのタイプのようです
エンパス?
とかも言うようですが
要は
お察し上手
忖度上手
なので
最近では
人の思いや気や念などを
もらわないように意識はしていますが
どうしても
わかってしまうので
特に離婚したくない
と言う配偶者さんのほうの
なんとも
如何ともし難い
鬱積したエネルギーのようなものを
感じてしまうのかもしれませんね、、、
わかりますよ
「どうしてこうなってしまったのか」
「こんなはずじゃなかった」
「帰ってきてほしい」
「どうしたらいいのかわからない」
「何がいけなかったのかわからない」
「どうしたら帰ってきてくれるのかわからない」
という状態やお気持ちで
時が止まってしまっていることは・・・
だけど、ねぇ
自分でなんとか
するしかないんですよね
だって
自分で招いてしまったことだから
もちろん
100%ではありません
夫婦のことですから
でも
離婚を求めている側は
おうおうにして
その
夫婦がうまくいかなくなったことは
お互いに理由があり
どちらも悪いのであり
どちらも悪くないのであり
単に
「合わない」
ということだけなのだ
ということを
よくわかっていて
わかってしまった方が
「離婚するしかないのだ」
「一緒に生活することはできないのだ」
「一緒に人生を歩いていくことはできないのだ」
「合わないのだから」
「無理して合わせていくことは、どちらかが犠牲になること」
「そんなことは、もうしたくない」
「2人とも自由で幸せになりたい」
と思って
離婚、に踏み切っている人たち
だから
なんですかね
自分のことも責めないし
相手のことも責めない
単に
「合わなかった」だけ
そう
人生の一部を共にして
そのときは楽しくて
面白くて
幸せで
でも
人生をずっと
共にするほど
価値観や
目指している方向や
行きたい方向や
求めているものや
好きなものや
大切にしたいもの
などなど
が
ただ
違っただけ
好きでいたときは
恋は盲目だから
わからなかったけど
見えなかったけど
盲目期を過ぎたら
ちゃんとわかるもの
ああ、
私たち
求めていたものが
違ったのね、と
離婚って
ただ
それだけだと思うのです
どちらかが
悪いこともありません
どちらかが
正しいこともありません
どちらかが
どうにかすれば良いことでもないし
どうにかすれば良かったということでもないように
私は思います^^