3回目の離婚をしてから2年後
4番目の事実婚の夫と出会いました
年齢は3番目の元夫と同じ
4歳年下
彼も経営者でした
3回目の離婚をした後
私は
別居中から始めていた
スピリチュアルな学びや
自己啓発、コーチング、心理学などの学びを
引き続き続けていました
どうして
3回も離婚をしてしまうのだろう
もしかして
自分に原因が?
そう思うようになっていました
それまでは
相手を変えれば上手く行くはず
と思っていたからです
しかし
相手を変えても
前の人はここがダメだったから
今度の人は大丈夫
前の前の人はここがダメで
前の人はここがダメだったから
今度の人は大丈夫
そうやって
相手を変えてきましたが
なんと
1回目の離婚の原因と
2回目の離婚の原因となった出来事は
全くと言っていいほど
同じこと
あれ?
ってことは
人を変えても
同じこと???
もしかして
私に原因が???
そう思うようになっていた時期でした
それを解明すべく
とにかく
自己探究、自己探究、、、、
カウンセリング、コーチング、ヒーリング、リーディング
受けられるセッションは受けられるだけ受けました
スピリチュアルだとか
アロマだとか
パワーストーンだとか
浄化だとか
パワースポットだとか
とにかく
やれることは
やれるだけやりました
面白いことに
あれをやったら
次はこれよ
と言った具合に
次々と
ご縁がつながっていきました
そんな中で
内観というものを体験しに行ったところで出会ったのが
4番目の元夫でした
その頃の私は
今度も
「心の学びをわかっている人だから大丈夫」
と思ってしまいました
事実、彼も
スピリチュアルだとか
心理的なことが好きなようで
話題はずいぶん盛り上がりました
しかし
私は
身内にはしてはいけないという
カウンセリングやセラピーなどを
彼にしてしまい
また
彼は深い両親とのトラウマを抱えていたのですが
私は
おこがましくも
それを
なんとかしてあげよう
なんとかできる
と思って
自らセラピーしたり
セラピーを紹介したり
一緒にスピリチュアルスクールに通ったりしていました
けれど
彼からしたら
それは
心の傷を刺激するだけのものだったのかもしれません
私は彼の奇怪な言動の数々に困惑し
彼の機嫌に振り回され
子供がいるのだから
とにかく
家庭を維持しないと
そんな思いから
とにかく
必死でした
しかし
今思うと
当時の私は
一人で子育てができるのだろうかという
漠然とした不安から
彼と共依存状態に陥っていたのだと思います
今にして思うと
別に一人で子育てすることなんて
こうしてやってしまえば
なんてことはない
彼の奇怪な行動に惑わされずに、振り回されずにやっていれば
むしろ楽だったかもしれなかったのに
当時の私には
その勇気がありませんでした
まだ未知なる漠然とした
不安の多い世界に踏み出す勇気がありませんでした
最後に踏み出せたのは
踏み出さざるを得ないほどの状況となったから
いわば
強制的に背中を押されました
それまで
私が離婚の相談に乗っていた
おばさま達に
「先生、なに悩んでいるのよ!
先生なら経済力もあるんだから
悩む必要なんてないじゃない!」
と言われ
ようやく
「ああ、そうか
そうなんだな」
と思うことができるようになりました
まさに
目が覚めたような感覚、ですかね
それまでは
家庭内、という
視野が狭くなっていた状態でした
44歳になった2日後、離婚を決意し
元夫を家から追い出すことにしました
当時私たちが住んでいた家は
私の名義で借りていた家だからなのです
人の手も借りて
強制的に家から出すことにしました
けれど
彼は
不思議なことに
彼の中でも
何かケジメのようなものがついていたようで
すんなりと
彼も出ていってくれました
それまでの1か月近くは
私「出ていって!」
元夫「金がない!」
みたいなやりとりをしていたんですが(笑)
子供がまだ2歳の頃でした
幸いにも
現在5歳になる子供には
当時の記憶は残っていないようで
子供の記憶の中では
すでにお父さんの家と
自分とお母さんの家は別
という認識になっているようです
私と元夫が子供の前で喧嘩をしてしまっていたことも
幸いにも憶えていないようでした
私自身
お客様のサポートをしていて
よくわかっていますが
離婚は
お金がないとできません
この頃
ちょうど
2番目の元夫と一緒に買って
人に貸していたマンションを売却し
売却代金が入りました
私は
このお金を元手に
4番目の元夫と同居していた家を引き払い、引っ越しし
レンタルオフィスも一緒だったので
別のオフィスへ移ることにしました
年度の途中だったため
保育園は変わることができず
転居先から
前住所の近くの保育園に通うことは大変でしたが
半年を過ぎた頃に
新設の保育園へ転園することができ
ようやく落ち着いた
と思っていた頃に
コロナ禍になってしまいました